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企業メッセージCorporate Message

代表取締役社長 髙野 光司

あなた自身が気づいていない能力に
光をあて、掘り起こし、輝かせる!

代表取締役社長 髙野 光司

人生100年時代のいま、弊社は50歳になったばかり。すでにAIが設計やデザインの領域にも進出し始めている現在、その先の50年を想像してみるならば、おそらく、AIやテクノロジーの進化は現段階で私達が想像しえない分野でさらに発達を遂げているに違いありません。ライフスタイルの変化も同様です。

もはや車は所有からシェアの時代と言われていますし、近いうちに走行距離に応じたチャージ課金などが当たりまえになるかもしれません。車の形や個性は二の次で、目標設定さえすれば、運転などしなくても、食事をしたりTVを見たりしている間に目的地に到着しているのが当たりまえになっているかもしれない。あるいは空飛ぶ自動車になっているかもしれない。そんなめまぐるしい変化の時代です。当然、これまでのサービスや考え方は通用しなくなります。そんな状況下、人にしかできない仕事って何でしょうか。

人間対人間の関係性の中で、「あの人と一緒に仕事をしたい」「これからもこの人と付き合っていきたい」と思ってもらうためには、人としての魅力が今以上に問われるようになるはずだ、と私は考えます。人としての向上心が常にあるとか、高い志をもって自分の成長を求めるとか、ひとりひとりの「人間力」がますます重要になっていくことでしょう。

また組織においては、高みを目指す人たちのモチベーションを常に維持できる環境を整える必要があります。弊社がこれまで子会社や営業所を増やしてきたのは、決して売り上げを増やすことだけが目的なのではなく、意志ある人材が目指せる場所やポジションがあるかどうかが非常に大事なことだと考えてきたからです。その思いはこの先、さらに強くなっていきます。

  • 人はどう成長していくのか
  • 魅力ある人になるためには、どうすればいいのか
  • どうすれば自分自身がいまよりハッピーだと感じるのか

いろんな選択肢があると思いますが、自分のことは自分がわかっているようで、実は自分のことがわからない人がほとんどではないでしょうか。

ダイワグループのメンバーを目指すあなたのために、私達がお約束できること。それは、あなた自身が気づいていない能力に光を当て、掘り起し、輝かせるチャンスをご用意しているということ。まだ見ぬ「ハッピー」がここにあります。

50年のあゆみ

ダイワグループには、1968年の創業以来、
今を支える50年の歴史があります。
この礎をさらに時代の流れに合わせて変化
させながら、新しい未来へと進んでいきます。

  • 1968

    3人でスタートした、中古車販売
    高度成長期、時代はすべてに加速していた。日本のモータリゼーションもいよいよ本格的に躍動を始めていた。そんな時代に、株式会社ダイワグループの前身である「大和自動車株式会社」が東京都・東大和に誕生した。砂利を敷き詰めた展示場に中古車を並べ、社員3名でのスタートだった。湯本治男(現代表取締役会長)は当時を次のように語る「夕方になるとクルマを仕入れに出かけ、夜に洗車して、朝には展示するという、ただただ夢中でクルマを愛し、販売していた」と。そもそも湯本の夢は「社長になる」ことだった。大学卒業後、クルマのセールス一筋で、大手ディーラーでセールス及びマネジメントの実績を積み、その経験を生かしての起業だった。それは、「社長」という湯本の夢の第一歩であった。 1968年写真 1968年写真
    ローンがなかった時代に、月賦販売を開始
    今では当たり前のオートローン。当時は、新車にしか月賦販売が設定されていなかったが、湯本は中古車でもお客様が月賦で買える方法にチャレンジした。クルマを購入するための専用口座を設けてもらい、約束手形を切ってもらう、いわゆる「マル専手形」での販売だった。中古車は現金でしか買えないと誰もが思っていた時代だったので、その販売方法は斬新で、お客様にとってもクルマがより身近になったと好評を得た。カー雑誌にも広告を展開し、全国から問合せが殺到。マル専手形での販売方法で北海道から九州までクルマを販売した。大和自動車株式会社が、次のステップへ大きく力をためた時代だった。 1968年写真
  • 1970

    当時は珍しい、スポーツカー専門店へ
    とにかく「スポーツカーは楽しい」と語る、根がクルマ好きな湯本。やがて、あらゆる車種を扱っていた大和自動車も、スポーツカーを主力商品に扱うようになった。当時店頭には、日本を代表するスポーツカーホンダS600、S800、トヨタ2000GT、スカイラインGTシリーズが並んだ。店頭に訪れたお客様は感激し、スポーツカー専門店として評判を呼んだ。仕入れが難しいと言われたスポーツカーも、「お客様が喜んでくれる値段で出せば、売れないクルマはない」と湯本は言い切る。さらに、お客様とは値引きの駆け引きをしないのがポリシーだった。
    満足いく価格を提示すれば、どんなクルマも売れる。
    やがてそれが大和自動車への信頼へとつながった。 1986年写真
  • 1973

    在庫の山で死ねるなら本望!
    現状に満足せず、お客様のためなら弱気な商売はしない。そう心に決めた湯本が迎えたのは1973年第一次オイルショック。当時の大和自動車の主力商品であるスポーツカーはガソリンを多く消費するクルマ、販売も苦戦が目に見えていた。しかし、全国で待つスポーツカーを愛するお客様を裏切ることはできない。お店に並ぶ商品を減らさぬよう、強気の仕入れを続けた。当時を振り返り湯本は言う「私もクルマに夢を馳せて身を起こした一人。在庫の山で死ねるなら本望!まさにそういった心持ちであったと鮮やかに思い出されます」。結果、お客様の支持を得ることができ、厳しい経済情勢の中を前進することができた。お客様を信じ、お客様の期待を上回るべく行動を積み重ねていく。その原点を見出すことのできた、決して忘れることのない契機だったと言う。
  • 1985

    ホンダの夢に共感して正規ディーラーへ
    オイルショック後、経済も立ち直りマイカーブームも再びやってきた。各自動車メーカーもディーラー網の展開を積極的に進めていた。大和自動車としては、正規ディーラーになるための絶好のチャンスだった。さまざまなディーラー募集があったが、湯本は、本田宗一郎と共にホンダを世界のHONDAに育て上げた藤沢武夫の著書を読んで、ホンダの夢に惚れ込んだ。「どうせやるんだったら、ホンダの夢にかけてみよう」と決断した。ダイワホンダ株式会社の誕生である。当時はシビックが爆発的に売れたという。「いまでもそうですが、ホンダの商品戦略は非常に楽しい。次から次へと新しいモノを、新しいお客様にアピールする商品力がある」と、ホンダを選んで間違っていなかったと今も振り返る。
  • 1986

    BMWとの出会い。モトーレンダイワ誕生
    ダイワホンダ株式会社の販売は順調に伸びていったが、何か漠然と物足りなさを感じていた。そんな時、たまたま湯本は友人のBMWに乗る機会を得た。「世の中にこんな快適なクルマがあるんだ!」と驚いたという。「これは、ぜひ扱いたい」と心に決めた。チャンスは、向こうからやって来た。当時、BMW Japanは設立したばかりで、同社が日本での代理店を本格的に募集していた。BMW Japanの開拓リーダーがたまたま、新青梅街道にあった当時中古車販売店としては珍しい鉄筋コンクリート造りの大和自動車本社を見て、ぜひBMWを売ってくれないかと訪れた。本当に自分がいいものと体感したクルマをお客様のために売る。湯本は、迷うことなく快諾した。モトーレンダイワ株式会社の誕生だ。現在の株式会社モトーレン東都である。 1986年写真
  • 1997

    チェロキー販売から、クライスラーのディーラーへ
    一時期、全国のホンダディーラーでクライスラーのチェロキーを販売したことがある。当時、ホンダの販売網3000店。ホンダ車と価格帯が圧倒的に異なるこのクルマを、ホンダディーラーで販売することはかなり難しいとされた。しかし、湯本は「絶対に売ってみせる気概でやった。値段が張るけど、おもしろいクルマだ」と思った。本気で売りに出た。あるとき、千葉にあるメーカーのモータープールで400台ほどのチェロキーが雹に降られボディが傷ついた。走行上の性能は何一つ失われていないこのクルマを全部買おうと言った。実際は150台ほど仕入れ、お客様に事情を説明した上で満足できる安い価格で販売した。多くのお客様にあのチェロキーがこんな値段で手に入れることができた、と喜ばれた。そして、全国のホンダディーラーの中で、チェロキーの売り上げが日本一になった。これが、後の多摩クライスラー株式会社の産声であったと言える。現在の株式会社ファイブスター東都である。
  • 2002

    ミニをビッグに、MINIの取り扱い開始
    BMWが英国ローバー社を傘下に収めた際、ローバーの日本法人がBMW Japanの中に組み込まれた時期があった。BMW Japanはローバー車の在庫一掃が急務となり、株式会社モトーレン東都は大きな成果をあげた。その後BMWはMINIブランドだけを残し、ローバー社を売却。2001年にBMWの開発による新型MINIが発表され、日本での販売ディーラーの募集が始まった。その際、ローバー車販売の実績を買われ、真っ先にオファーがきた。多くのディーラーがMINIの販売に躊躇している中、いち早く2002年3月2日(MINIの日)、MINI西東京をオープン。お客様が途切れることなく来店し、販売開始と同時に完売、納期も半年待ち状態が続いた。現在では東久留米に移転したMINI西東京、MINI杉並、MINI NEXT小平の3店舗に拡大している。
  • 2010

    さらなる50年に向かって、ホールディングカンパニー設立
    創業50年を迎えるにあたって、次なる50年に向かい新たな歩みを始めた。株式会社ダイワグループの名のもとに、ホールディングカンパニー制へ移行した。事業継承という、どの会社も突き当たる課題。「一人の経営から組織的な経営へ。それこそが、私たちの会社が成長しながら永続的に生き残るための最良の選択だと考えた」と現社長の高野は明快に言う。それは、安定的な資金調達という財務改善にも大いに役立つ。いまではホールディングカンパニーが事業会社に資金を提供するシステムまで構築している。加えてスケールメリットを活かしての優秀な人材の確保と、個々の能力を最大限活かすための人事交流がスムーズに行えることも判断の決め手になったという。
  • 2013

    アフターマーケットも注視、ダイワオートモビルズ株式会社の誕生
    一台のクルマを長く乗る傾向、強いこだわりをもってクルマを選ぶ傾向がより強くなってきたと言われ始めた頃である。アフターマーケットの重要性をいち早く察知し、独自開発した画期的なコーティング剤を携えダイワオートモビルズ株式会社を設立。この商品は、長年培ってきたコーティングの知識と技術を駆使し、レアメタルをナノ化配合した自動車用ガラスコーティング「Daiwa ProTech®」である。従来のガラスコーティングに比べ強靱な被膜を持ち、きらめく輝き、みずみずしい艶と美しさを実現するという。この今までにない画期的な製品である「Daiwa ProTech®」は、国内はもとより海外への輸出も堅調に伸びている。世界的にメンテナンス需要が高まる中、自社ブランドとしてますます輝きを増している。
  • 2014

    イタリアの情熱を。フィアット、アルファロメオ、マセラティの正規ディーラーへ
    実は1970年代の中古車販売の時代、アルファロメオを取り扱ったことがあった。「国産スポーツカーと並んだ真っ赤なアルファロメオの姿は、今でも目に焼き付いている」と現社長の高野は振り返る。それはイタリア車が、他国のブランドにはない独特の魅力を有しているからだろう。そして時代は流れ、2014年長年販売してきたクライスラージープがフィアットグループと合併することになり、再度ディーラー販売のチャンスが訪れたのである。そしてフィアット、アルファロメオ、マセラティの正規ディーラーとして認定され、10月にはフィアット/アルファロメオを扱う、株式会社トリコローレ東都が産声を上げた。
    創業者である湯本には、リスクヘッジの観点やトレンドの経験値から「複数ブランドの扱いは国別を良しとする」という考えがある。実際、すべてのブランドで一気に業績が落ち込んだということがないという。日本、ドイツ、アメリカ、イタリアの4ヵ国のブランドは、未来のダイワグループを補完しあうものに違いない。
    国内最大級のショールーム「マセラティ幕張」をオープン
    100年を超える歴史をもつプレミアムブランド、マセラティ。株式会社ファイブスター東都は正規ディラーとして、千葉県初の「マセラティ幕張」を9月にオープンさせた。敷地面積は約1,983m2(600坪)で、日本最大級を誇る。マセラティほど乗り手を選ぶブランドはないかも知れない。このクルマが放つ品格、優艶さ、エレガントさ、知性・・・は、唯一無二のものだ。「マセラティのエンブレムがあるだけで、ホテルなどでの対応が違う」多くのオーナーたちが経験するという。「マセラティはダイワグループのお客様に夢を与えるだけでなく、それを取り扱う私たち自身をプレミアムに導いてくれるハイブランドだと思う。」売る側も、人間力を磨く必要があるのだ。 2014年写真 2014年写真
  • 2017

    クルマを知り尽くした技術者集団、株式会社ダイワカークラフト誕生
    メンテナンスの重要性と、今後ますます注目されるカスタム需要を見据え、ダイワグループ6番目の会社、株式会社ダイワカークラフトが誕生した。輸入車から国産車まで対応し、整備・鈑金・塗装・カスタムを専門に行うプロフェッショナル集団である。完全自社工場を備えているため、ワンストップで各作業が完了する。乗る人の安全を守る、クルマの美しさを維持する、オーナーの個性を表現する。「買っていただいたクルマは、とことん面倒をみる。」これが、ダイワグループに息づく不変のポリシーである。
    ダイワグループ、創立50周年を祝う
    たった3人で立ち上げた中古車販売会社から、50年。創立50周年を迎え、関わりのある方々に感謝の意を込めた記念式典が、「グランドニッコー東京台場」にて盛大に行われた。従業員とその家族、取引先様を含め約900人が参加した。大人から子どもまで、参加者全員に楽しんでもらえるようなさまざまな企画を用意。奈良県を拠点に活動している和太鼓芸能集団「舞太鼓あすか組」のパフォーマンスも披露され、その迫力に圧倒されていた。式典の企画は、外部の会社に頼むことなく、グループ各社のマーケティング担当者によるプロジェクトを立ち上げ、立案から実行まで自分たちだけで行ったという。
  • 2019

    より強固に、ダイワカークラフトとダイワオートモビルズ合併
    株式会社ダイワカークラフトとダイワオートモビルズ株式会社が合併。かねてより協力提携関係にあったが、経営基盤の強化を図るために新会社を設立した。独自ルートでの自動車の並行輸入をはじめ、自社開発した自動車ボディコーティング製品「Daiwa ProTech®」の国内外での展開、ホイールやマットなどカーアクセサリーの企画開発・製造・販売、鈑金・塗装の施工、カスタマイズなどが主な事業内容だ。また、モータースポーツで活躍するプロドライバーと契約。自社製品や技術を提供し、レース活動のサポートも行っている。新会社は、クルマをより幅広く、多角的に楽しむユーザーのグッドパートナーとして力強い存在になるだろう。
  • 2020

    湘南地区へ進出、1都3県のネットワーク構築
    神奈川県下にBMW正規ディーラー「Shonan BMW」を展開するメトロポリタンモーターズ株式会社(現:株式会社モトーレン湘南)の株式を100%取得し子会社化した。ダイワグループとしては神奈川エリア初出店となり、横浜西部から湘南地区を新車4拠点、認定中古車1拠点でカバーする。これにより東京、神奈川、千葉、埼玉の1都3県のネットワークが構築できたことになる。時代の風、世の中の動きを敏感に感じ取り、チャンスを確実に活かす。あくまで慎重に、それでいて迅速にだ。ダイワグループは未来へ向かって、止まることはないのだろう。